2010年6月1日火曜日

ラテンと権威とヒエラルヒー

個人的に「ラテン」と「権威」なんて何のつながりもなさそうなイメージでいたけど、
やっぱりそうでもない一面も意識外で実は知っていた。
まずは「カトリック」。ヒエラルヒーの頂点にたつローマ法王。
ラテン諸国では一般的にカトリックの信者が多い。
それから「流行に弱い。」なにしろ流行のものに飛びつく。
おそらく今の日本人以上だろう。80年代の日本人並か?
そう、権威を崇めるということは実はラテン的なのである。

しかしどこにでもひねくれ者というものはいるものでカストロとかチャベスとか。
どちらかというと私はそっちのひねくれ者の方にシンパティアを覚える。
(しかし国内では権威と成り得る状況であり権威無関心主義派としてはもろ手上げて賛成というわけにはいかないのである。つまり「反権威の権威」に成り得る。)
基本「権威?あそうなの?」的スタンス(あんまり興味ないとか。)
だが、相手がいい人だとその対象外だ。
ローマ法王はしらないから別に興味はないが知り合いの神父さんはすごく「なごみ系」で好きだ。
こちら側が媚を売る必要がないことから私が「権威」と認識しているかどうかは自分でもよく分からないが多分「好きだから好きで別に権威とか関係ない」という所なんじゃないだろうか?

どこにでも権威好きな人というのはいて、
小学生でいうところの「先生にいってやろ~」とかいうのと似たようなことをやらかす。
まるで自分が権威の一部であるかのように振る舞い、相手を牽制するのである。
その時点で自分たちでの解決、解釈を権威に任せて放棄しているのだ。

自らのポリシーもなく、権威に盲従する、まるでスター・トレックのボーグ・クイーンに対するボーグのようだ。
だがしかしボーグの集合体は強いのだ。ソレはソレで生き方なのだ。

しかしわたしは弱くてもいいのだ。
ただ気ままに好きなことができれば。
「お前は『日本人』だろ」という、偏見の中でくそ真面目に毎日を過ごしていかなければならない。
そんな固くなったハートと笑顔を開放するラテン音楽とダンス。
素晴らしい。

禅的に言えば開放してるのは音楽でもダンスでもなく「自分」てところだろうか?
何しろ感じているのは私自身に他ならないから。

つまりナニが言いたいのか?って事だが、「自分が一番好き」ってことだ。
あえて勘違いを引き起こさないように念のため書くが、「俺様最高!」ってことではない。
最高じゃない最低じゃないなんとなく低空飛行、でも墜落しないダメな自分がなんかかわいいのだ。

以上、とりとめのないお話でした。

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